私は、どちらかと言うと「いじられる」方の人間だ。これまでの人生を振り返っても、小学校の頃からいつもクラスの誰かにいじられていた。社会人になってからも、それは変わらなかった。上司や先輩からいじられることが多い。もちろん、同僚や後輩からも時々いじられるが、特に先輩からのいじりが多い。
いじられ歴の長い私はある事に気付いた。
世の中には「いじる人」と「いじられる人」が存在する。そして、いじるのが上手い人間と、いじるのが下手な人間がいる。これは本当に重要なポイントだ。いじりが上手い人のいじりは、まるでマッサージのように心地良い。例えば、ある先輩のいじりは、本当に気持ちいい。「この人、本当、俺の好きないじりのツボわかってるよなぁ」と思わせてくれる。逆に、いじるのが下手な人のいじりは、単なる自己満足のマウント取りでしかない。「お前、本当にそれで楽しいのか?」と内心で呆れることもしばしばだ。
いじられるという行為について考えると、これは一種のSMプレイのように感じることがある。いじられる方がM(マゾヒスト)で、いじる方がS(サディスト)という構図だ。だけど、本当のところはもっと複雑だ。いじられる側の満足のために、いじる側がサービスしているという面もある。これは、SMのSが実はMの満足のために鞭を振るっているということと共通している。
いじりが上手い人の周りには人が集まっている。
サービス精神が旺盛で気遣いができる人だからだと私は考えている。そして何よりも他者に対するリスペクトを持っているのだ。
その逆のいじりが下手な人は「イジメ」みたいになる事が多い。自己満足が目的で相手へのリスペクトが無いからだ。
「SはサービスのS、Mは満足のM」
この名言は20代前半の時に見た、私のバイブル映画のひとつ、鬼才山本英夫先生原作の
「援助交際撲滅運動」
のセリフである。
この言葉の深さを40歳になってようやくわかってきた気がします。
さて、こんなふうにいじられることについて、あれこれ考えてみたが、結局のところ、いじりもいじられも人間関係の一部だ。そして、その関係性がうまくいっていると感じられる時は、たとえいじられても、それは嬉しいものだ。反対に、関係性がうまくいっていないと感じられる時は、いじられるのはただの苦痛だ。
やはり気持ちの良いいじりには信頼関係が構築されている事が条件である。
これからも、いじられオジサンとして生きていく中で、上手な先輩からのいじりを楽しみつつ、下手な先輩のいじりは適度に受け流しながら、なんとか生きていこうと思う。結局のところ、人間関係とはSMプレイの1つなのかもしれない。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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