私の年代、つまり40歳前後の人々にとって、スニーカーは単なる履物以上の意味を持っています。それは、ある種の信仰や憧れ、そして青春の象徴でもあります。今ではここ数年の熱狂は冷めたものの、2万円のスニーカーが30万円のプレミアム価格(プレ値)で取引されることもありました。ここ数年のスニーカーブームは、本当に異常なものでした。今でもUSラッパーのトラヴィス・スコットとのコラボモデルなんかは異常なプレ値が付いていますが。
最近のスニーカーブームの事を考えると1995年、私が12歳、小学6年生だった頃を思い出します。当時、ナイキのスニーカーが大ブームとなりました。「エアマックス狩り」なんて物騒な事まで起こりました。ナイキの名作スニーカー「エアマックス95」のイエローカラーを履いているだけで、治安の悪い地域では強奪されてしまうのです。当時、社会問題になりました。本当に憧れたものです。
ちなみに私の同学年で唯一持っていたのはヤxザの息子だけでした。
また、当時流行っていた漫画「スラムダンク」。桜木花道が履いていた「エアジョーダン1」、流川楓が履いていた「エアジョーダン5」。ナイキのバスケットシューズは、少年たちの憧れそのものでした。「エアジョーダン5」にもいわくつきの伝説があります。アメリカでエアジョーダン5を履いていた少年が、そのスニーカーを踏まれたことに腹を立て、踏んだ相手を銃で撃ち、x人事件を起こしたというニュース。全米を駆け巡ったこの事件は、逆にブームを加速させる結果となりました。
そのブームは勿論、日本にも波及し、バスケットシューズというだけで学校の体育館の下駄箱に置いていると盗難にあうなんてこともありました。
私が18歳頃、ラップをやっている友人がいました。彼は「エアフォース1」の真っ白なスニーカーを常に2足持っていて、1足は履き、もう1足は下駄箱に常備していました。少しでも汚れると捨てて新品をおろし、いつもピカピカの真っ白なエアフォース1を履いていました。あの姿は、本当にカッコ良かった。当時、エアフォース1は1万円以下で買えたものですが、今では1万6千円もするようです。時代の変化を感じずにはいられません。
最近のスニーカーブームについて思うのは、当時手に入れることができなかったおじさんたちが、その熱狂の中心にいるのではないかということです。若い頃の憧れをお金を持った今になって手に入れようとする彼らの姿には、どこか切なさを感じます。
そんなことを言う私も今年、2足スニーカーを買ってしまいました。同じ靴の色違いが並ぶシューズクロークに嫁はあきれ返っています。
それでも私は、スニーカーを買い続けます。それは、失われた時間を取り戻そうとする、おじさんの儚い抵抗なのかもしれない。
あの頃、手に入れたくても手に入れられなかったスニーカー。擦り切れるほど履き込んだお気に入りの一足。友人たちと語り合ったスニーカーの話。すべてが懐かしく、愛おしい思い出なんです。
私にとってもスニーカーは単なる履物以上の意味を持っています。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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