私の日常のアニメ化!!!

私の日常に起こった事をイラストと音楽を添えて投稿していきます。

おじさんがシックスパックを手に入れるための道のり

どうも、かつてはシックスパックだったおじさんです。

今回は、私の経験を交えてシックスパックを手に入れる方法を紹介します。若い頃は「いつかはシックスパックを」と夢見ていたものの、なかなか実現できずに年月が過ぎました。しかし、30代後半を迎え、ふと鏡に映る自分の姿に焦りを感じ、本気で取り組む決意をしました。結果的に、一度はシックスパックを手に入れたのです。

シックスパックを目指すために、まず行ったのは食事制限と有酸素運動でした。筋肉を大きくするよりも、まずは脂肪を落とすことが重要です。私の場合、毎日カロリーを計算し、バランスの取れた食事を心がけました。脂肪が少なくなれば、自ずと腹筋が現れてきます。

しかし、ただ痩せるだけでは満足できず、腹筋を大きく見せたいと思うようになりました。そこで登場したのがアブローラーです。これほど腹筋に効くトレーニング器具は他にないと感じました。毎日、ひたすらアブローラーを繰り返し、その効果を実感しました。そして、毎朝体重計に乗り、体重の増減に一喜一憂する日々が続きました。

有酸素運動として取り入れたのがHIITトレーニングです。HIIT (High-Intensity Interval Training) とは、高強度インターバルトレーニングのことで、短時間で効果的に脂肪を燃焼し、心肺機能を向上させることができるトレーニング方法です。

ざっくり言うと”とても辛いことを少し休憩を入れてめっちゃ繰り返す”と言うことです。

具体的には、30秒間全力で運動し、10秒間休憩するサイクルを8回繰り返します。私が行っていたのはスプリント(全力疾走)、バーピージャンプ、ジャンピングスクワット、そして腕立て伏せでした。これらを曜日ごとに変えて行い、飽きが来ないように工夫しました。ただとんでもなく辛いです。

朝5時に目が覚めると、まず2キロのジョギングに出かけました。途中の公園でHIITを行い、また2キロのジョギングで帰宅し家でアブローラーする。これを毎日欠かさず、半年間続けました。その結果、シックスパックを手に入れることができました。

この生活を続ければシックスパックになります。

あと、毎日続けることで習慣になります。例えば週3回のトレーニングだと休んだ次の日にモチベーションが上がらない時があると思います。その時が1番キツいんですよ。

実は毎日やると逆に楽なんです。

シックスパックを手に入れたときの最も印象深いエピソードは、娘と海に行ったときのことです。娘が私の腹筋に指をさしながら「1、2、3、4、5、6、なんでパパのお腹6個あるの?」と不思議そうに数えていた姿が今でも鮮明に思い出されます。娘の純粋な疑問と驚きの表情が、私の努力を報われたと感じさせてくれました。

彼女の将来に、私の腹筋が少しでも影響を与えられたのなら、これほど嬉しいことはありません。娘が大人になったとき、きっと素敵な女性になることでしょう。そんな未来を夢見ながら、今日もジムで汗を流しています。

このブログが、同じようにシックスパックを目指す方々の励みになれば幸いです。40歳を迎えても、自分を変えることはできます。遅すぎることなどありません。自分を信じて、一歩一歩前進していきましょう。

 

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おじさんが早朝トレーニングジム通いを語る。

皆様こんにちは、実は私は中年トレーニーなんです。私のトレーニングジム通いの話をしたいと思います。
去年の9月、自宅近くに24時間やっているトレーニングジムがオープンしたとき、私は喜び勇んで入会しました。仕事が終わってから通うと帰りが遅くなり、家族に迷惑をかけることが多いと思い、早朝にジムへ通うことにしました。それに、最近は娘たちと一緒に21時には寝る習慣がついているので、朝5時に自然と目が覚めてしまうのです。

早朝のジムは閑散としているだろうと予想していましたが、意外にも人が多いことに驚かされました。特に驚いたのが私がロッカーで準備をしているときに、シャツがピチピチで胸筋がパンパンのせいでシャツの下から乳首がピンコ立ちしているのが丸出しのおじさんが3人連続で通り過ぎる光景でした。一瞬、まだ寝ぼけているのかと目を疑いましたが、確かに彼らは存在していました。

私(早朝からとんでもない連中だ。厳格な国だったら彼ら捕まるんじゃないか。)と心の中で思ってしまいました。

最近の傾向として、おじさんたちはピチピチのシャツを、若者たちはダルンダルンのタンクトップを着るのが流行りのように感じます。あれは一体何なんでしょうね。時代の変遷を感じざるを得ません。

体を鍛え始めたのは、今から2年前のことです。人生で一度はシックスパックを手に入れたいと考え、トレーニングを始めました。若い頃から「いつかはシックスパックを」と思っていたものの、いつも後回しにしていました。しかし、30代後半に差し掛かり、心機一転してトレーニングを本格化させました。

半年ほどの自重トレーニングと有酸素運動、そして食事制限を続けた結果、ついにシックスパックを手に入れることができました。その時のトレーニングメニューについては、また別の機会に詳しく紹介したいと思います。

 

シックスパックになった頃の写真。

自分の体がカッコ良く変化していくのは本当に楽しいです。

 

しかし、その後、フィジークの大会に出場している幼馴染のゴリゴリの体に憧れ、彼に色々と教わりながらジム通いを決意しました。彼から「筋肉をつけるためには一度太らないといけない」と言われ、増量を決意。しかし、増量したものの、最近ではなかなかモチベーションが上がらず、体重が思うように落とせなくなってしまいました。

鏡で体を見ながら「クソー!だまされた!太らずにあのままで居れば良かった!」と心の中で叫ぶこともありますが、結局は自己責任です。受け入れなければなりません。

まぁ、食事制限と有酸素すれば良いだけなんですけど。

早朝のジムには、同じように夢を追い求める人々が集まっています。彼らの姿を見るたびに、自分の初心を思い出し、再び奮い立たせることができます。またシックスパックに戻るために私は早朝のジム通いを続けていきます。今からしっかり減量したらかなり良い体になってるはずです。

40歳のおじさんが書くブログとして、この文章が少しでも共感を呼び起こし、同じように奮闘している方々の励みになれば幸いです。

 

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家族との大切な時間、佐久島へ

時が経つのは本当に早いものです。気がつけば40歳。かつての自分なら、こんな休日の過ごし方をするとは想像もしなかった。

 

先週の土曜日、梅雨の合間に訪れた貴重な晴れの日。資格の勉強など色々とやることはありましたが、家族で佐久島へ遊びに行くことにしました。少し湿った空気に、心地よい風。真夏の日差しほどの厳しさはなく、どこか懐かしい初夏の匂いがしました。

佐久島といえば、愛知県の三河湾に浮かぶ小さな離島で映画「名探偵コナン 天空の難破船」の舞台としても知られています。

 

 

船で島に渡るのですが、5歳の下の娘にとっては初めての船旅。彼女は目を輝かせて、興味津々で楽しんでいました。その姿を見ていると、かつての自分の姿が重なって見えました。新しいものに出会う度に胸を躍らせていた、あの頃の自分。

 

佐久島にはアート作品が点在しており、レンタサイクルを借りて島を巡りながらそれらを鑑賞することができます。

9歳の上の娘はまだ自転車が少し苦手でした。

自分より歳下の子達が自転車に上手に乗ってる所を見て

上の娘「あの子達乗れてる。。。」

と心配そうにしていましたが、自転車に乗り出したら、ものの10分ほどでスイスイと乗れるようになり自転車での散策を楽しむことができました。下の娘は嫁が借りたチャイルドシート付きの自転車に乗せて、一緒に風を感じながらの探索です。

娘たちが特に気に入ったのは、「イーストハウス」というアート作品でした。その場所で無邪気に笑い、楽しむ姿を見ていると、私の胸にも込み上げるものがありました。彼女たちにとって、新しい体験や成長の機会を与えられたことが、本当に嬉しかったです。

下の娘は初めての船旅という新たな体験を、上の娘は自転車に乗れるようになったという成長を。それぞれにとって、特別な一日となりました。娘たちの笑顔を見ながら、この日が彼女たちの心に残る素晴らしい思い出になってくれればと願います。

帰りの船の中、娘たちの笑顔を見ながら考えました。娘たちの純粋な喜び、新しいことへの好奇心、そして無限の可能性。そんなことを考えながら波に揺られていると疲れたおじさんは寝てしまい、気づいた頃には港に到着していました。

佐久島の風景とアートに触れ、家族で過ごした時間は、私自身にも大切な思い出となりました。子どもたちの成長を感じながら、自分もまた、少しずつ変わっていくのを感じます。40歳になった今、こんな風に家族と過ごす時間が、何よりも大切で、かけがえのないものだと実感しています。

忙しい日常の中で、こうして家族で過ごす時間は本当に貴重です。これからも、子どもたちと共に、たくさんの思い出を作っていきたいと思います。佐久島で過ごした日、耳に入る波の音と子供たちの笑い声が素敵な一日でした。

 

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今日の一曲

TRINIX x Rushawn - It’s a beautiful day (Lyrics by Jermaine Edwards)


おじさんが語るおじさんの生態

先日、娘がクレヨンしんちゃんを見ているのを何気なく横目で見ていました。そのアニメの中で、しんちゃんの父親、ひろしがテレビを見ながらビールを飲んでいるシーンがありました。テレビには水着姿のお姉さんが映っていて、ひろしが「お風呂上りにビールを飲みながら水着のお姉さんを見るのは最高だ」と満足げに言うのです。それを見た私は、思わず「本当、貴族の遊びだよなそれ」と口走ってしまいました。

その瞬間、ハッとしました。少年だった頃、親戚のおじさんがテレビに向かって下品なことをしゃべっていたのを思い出し、背筋が凍ったのです。あの時の私は、「テレビに話しかけたって返事が来るわけでもないのに、変なおじさんだな。ボクはこんな人にはなりたくないな」と思っていました。しかし、かつての自分が、テレビに向かって話しかける親戚のおじさんを見て抱いた違和感。「ボクはこんな人にはなりたくない」。そう思っていたはずなのに、気づけば同じことをしてしまっている。そう、おじさんという生き物は、テレビに話しかけてしまうのです。

 

私の家の近くに、若くて可愛らしい店員さんばかりがいるラーメン屋があります。噂によると、その店はおじさん達をターゲットにしていて、若い女性が接客することでおじさんの気分が良くなるという大将の策略なのだそうです。そのおかげで、いつもその店は繁盛しています。確かに、若い女性の笑顔での接客には、つい気分が良くなってしまいます。

悔しいですが私たちおじさんは、こうして簡単に気分が良くなる本当にチョロい生き物なのです。いつも虐げられている分、少しのおもてなしや優しさで、心が満たされてしまう。そんな自分が少し情けなくも感じますが、逆らえない事実でもあります。

昔は、年を取るということはもっと尊厳のあることだと思っていました。人生経験を積んで、落ち着いた大人になるのだと。しかし、現実は違いました。少年だった頃の私が憧れていた大人の姿は、どこにも見当たらないのです。むしろ、あの頃のおじさん達がやっていたことを、今の私がそのまま繰り返しているだけ。テレビに話しかけ、若い女性店員に浮かれてしまう。

あの頃の少年の自分に、今の私の姿を見せたら、どんな顔をするだろうか。きっとがっかりするに違いありません。しかし、これが現実なのです。年を取るということは、そんなに格好良いものではないのです。

テレビに話しかけるのも、若い女性に浮かれるのも、おじさんの生態の一部なのですが、さすがに情けないので少しでも良くなるように努力はしようと思います。

完全に変わることは難しいですがテレビに話しかけないのと、若い女性に浮かれてしまっても表情には出さず、それだけで飲食店などを評価することはしないようにしたいと思います。

皆さんも、いつかはおじさんになる日が来るでしょう。その時、自分がどうなるのか、想像してみてください。きっと、今の私のように、自分の生態に驚き、そして受け入れるしかないのだと思います。

 

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憧れと青春の象徴。スニーカー愛をおじさんが語る。

私の年代、つまり40歳前後の人々にとって、スニーカーは単なる履物以上の意味を持っています。それは、ある種の信仰や憧れ、そして青春の象徴でもあります。今ではここ数年の熱狂は冷めたものの、2万円のスニーカーが30万円のプレミアム価格(プレ値)で取引されることもありました。ここ数年のスニーカーブームは、本当に異常なものでした。今でもUSラッパーのトラヴィス・スコットとのコラボモデルなんかは異常なプレ値が付いていますが。

最近のスニーカーブームの事を考えると1995年、私が12歳、小学6年生だった頃を思い出します。当時、ナイキのスニーカーが大ブームとなりました。「エアマックス狩り」なんて物騒な事まで起こりました。ナイキの名作スニーカー「エアマックス95」のイエローカラーを履いているだけで、治安の悪い地域では強奪されてしまうのです。当時、社会問題になりました。本当に憧れたものです。

ちなみに私の同学年で唯一持っていたのはヤxザの息子だけでした。

また、当時流行っていた漫画「スラムダンク」。桜木花道が履いていた「エアジョーダン1」、流川楓が履いていた「エアジョーダン5」。ナイキのバスケットシューズは、少年たちの憧れそのものでした。「エアジョーダン5」にもいわくつきの伝説があります。アメリカでエアジョーダン5を履いていた少年が、そのスニーカーを踏まれたことに腹を立て、踏んだ相手を銃で撃ち、x人事件を起こしたというニュース。全米を駆け巡ったこの事件は、逆にブームを加速させる結果となりました。

そのブームは勿論、日本にも波及し、バスケットシューズというだけで学校の体育館の下駄箱に置いていると盗難にあうなんてこともありました。

私が18歳頃、ラップをやっている友人がいました。彼は「エアフォース1」の真っ白なスニーカーを常に2足持っていて、1足は履き、もう1足は下駄箱に常備していました。少しでも汚れると捨てて新品をおろし、いつもピカピカの真っ白なエアフォース1を履いていました。あの姿は、本当にカッコ良かった。当時、エアフォース1は1万円以下で買えたものですが、今では1万6千円もするようです。時代の変化を感じずにはいられません。

最近のスニーカーブームについて思うのは、当時手に入れることができなかったおじさんたちが、その熱狂の中心にいるのではないかということです。若い頃の憧れをお金を持った今になって手に入れようとする彼らの姿には、どこか切なさを感じます。

そんなことを言う私も今年、2足スニーカーを買ってしまいました。同じ靴の色違いが並ぶシューズクロークに嫁はあきれ返っています。

それでも私は、スニーカーを買い続けます。それは、失われた時間を取り戻そうとする、おじさんの儚い抵抗なのかもしれない。

あの頃、手に入れたくても手に入れられなかったスニーカー。擦り切れるほど履き込んだお気に入りの一足。友人たちと語り合ったスニーカーの話。すべてが懐かしく、愛おしい思い出なんです。

私にとってもスニーカーは単なる履物以上の意味を持っています。

 

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おじさんが語る高須克弥のYouTubeチャンネルの魅力

最近、私は高須クリニック高須克弥氏の三男である高須幹弥さんのYouTubeチャンネルを良く観ています。毎日のように更新される彼の動画を見ていると、時間があっという間に過ぎていきます。

高須幹弥先生は、高須クリニック名古屋院の院長を務めるだけでなく、現在ではYouTuberとしても大変な人気を誇っています。チャンネル登録者数は既に60万人を超え、その勢いは止まりません。私も愛知県に住んでいるため、地元の有名人としての親近感もあり、彼の活動を応援せずにはいられないのです。

幹弥先生の動画スタイルは15分間ノーカットで話し続けるという非常にストイックなスタイルで、真摯な情熱を感じます。

美容整形に関する話題はもちろんのこと、投資の話やメンタルヘルスについての深い洞察、さらにはコスプレや他のユーチューバーとのコラボなど、幅広い内容が魅力です。特に彼が高校生の頃からジムで鍛えてきた経験を基にした筋トレ論は、同じく筋トレを趣味とする私にとって非常に興味深く、参考になる点が多いです。

真剣に語る幹弥先生です。

楽しんごとのコラボは古典的ですが笑わせてもらいました。

 

幹弥先生の魅力は、その優しい語り口調と考えます。まるで友人と話しているかのような親しみやすさを持ちながらも、医学的な知識や見識に裏打ちされた話の内容には説得力があり、いつも心に響くのです。彼は明らかに成功した医師であり、お金持ちであるにも関わらず、その感覚は非常に庶民的で、視聴者との距離を感じさせません。

そして、何よりも彼の隠し切れない陰キャの雰囲気がまた一つの魅力です。高須クリニックの院長という肩書きからは想像し難いかもしれませんが、その内向的で控えめな性格が垣間見える瞬間に、親近感を抱きます。

幹弥先生の動画は、息抜きとして非常に優秀なコンテンツだと思います。

高須幹弥先生、これからも応援しています。そして、あなたの動画を楽しみにしています。皆さんもぜひ、一度彼のチャンネルを訪れてみてください。きっと、幹弥先生が好きになるはずです。

 

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おじさんがニコニコ動画の思い出を語って応援

ニコニコ動画が6月27日にサイバー攻撃を受け、未だ復旧していない状況とネットニュースで知りました。このニュースで久しぶりにニコニコ動画の文字を見て、私は20代前半のインターネットの思い出が一瞬にして脳裏を駆け巡り、懐かしさと、どこか切ない感情がこみ上げました。

ロシア系ハッカーが犯行声明 ニコニコ動画へのサイバー攻撃(共同通信) - Yahoo!ニュース

あれは今から約17年前、2007年から2008年頃のこと。ニコニコ動画がまさに全盛期を迎えていた時代でした。私が23歳、社会人になりたての頃です。学生生活から一転、社会人としての生活が始まり、外に遊びに行く機会も減り、代わりにインターネットの中に自分の居場所を見出していった。そんな時期に熱狂的な盛り上がりを見せていたのがニコニコ動画でした。

あの頃のニコニコ動画には、まだ見ぬ才能の原石がごろごろしていました。今では大物アーティストとして名を馳せる米津玄師やヒャダイン。彼らもまた、このプラットフォームから羽ばたいていった。そんな彼らの姿を見ながら、僕は無名のクリエイターたちの作品を探し求めるのが日課でした。

まるで宝探しのように。そして、その「宝物」たちは今でも僕の心の中で輝き続けています。

ここで、私が特に思い出深いニコ動音楽をいくつか紹介し、当時の思い出を語りたいと思います。あまり有名じゃないヤツです。そして、ニコニコ動画が一日も早く復旧することを願って。

サオリリス-ぽっぴっぽー

私が初めて触れたニコ動音楽がこの曲です。少し説明が必要ですが、当時、初音ミクという音声合成ソフトを使って音楽を投稿するのが流行していました。この曲はラマーズPというクリエイターによって制作され、サオリリスというコスプレDJがカバーした曲です。

まだコスプレが珍しかった時代、昔ながらの道頓堀で、コスプレ姿のサオリリスが踊っている動画がニコニコ動画にはあったはずです。

【ファミマ入店音】ファミマ秋葉原店に入ったらテンションがあがった

さつきがてんこもりによるこの楽曲も、私に衝撃を与えた一曲です。「ワンツーさんし!」という掛け声から始まる電波ソング。最初は戸惑いを覚えたものの、気がつけば「ふぁみふぁみま〜♪」と口ずさんでいる自分がいました。あの中毒性は今でも忘れられないです。

ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY PART2/ imoutoid

18歳という若さで心不全によりこの世を去った天才トラックメイカー、imoutoid。彼の音楽もニコニコ動画に投稿されていました。彼の音はFuture Bassの先駆けとされますが、私の印象ではそれ以上に生々しい音が心に響きました。また、現在ではメジャーアーティストとして活躍するtofubeatsとも生前に交流があったそうです。

 

当時の会社の後輩とよくニコニコ動画の話をしたものでした。その後輩は声優に憧れて東京に行き、声優の学校に通っていましたが、2年後には夢破れて帰ってきたことを思い出します。そんな彼の姿を思い出しながら、ニコニコ動画で出会った音楽を聴いていると、まるで時間が巻き戻ったかのような感覚に陥ります。

 ニコニコ動画の早期復旧を願っています。

 

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