桜の季節ですね。今週末は満開じゃないにせよ綺麗な桜が見られそうです。
桜の美しさというのは刹那の中に美しい花を咲かせ散っていく、そんな中にあるんではないんでしょうか。
終わりを意識する事でその美しさが際立つ、大きな視点で見ると人の一生もそんな美しさを溢れているんではないでしょうか。
私には桜の花と同じ儚い美しさを感じるものがあります。
それは我が家のリビングルームです。
私の家族は嫁と9歳と4歳の娘なんですがとにかく、みんな片付けをしません。ゴミ屋敷まではいかないんですがお絵描きした紙、工作した段ボールの破片、お菓子の袋、オモチャ、使用後のバスタオルや脱ぎ捨てられた服が散乱しています。
X旧Twitterでたまに"トー横"の動画とかが廻ってくる事があるんですがその動画の退廃的な風景を見ると
これウチのリビングじゃん!!ウチのリビングってトー横じゃん!
と心の中で叫んでしまいました。
そんな状態が常態化している中、先週の日曜日に私が号令をかけリビングを徹底的に掃除しました。
私の家、収納が結構あるはずなのに全て使ってないオモチャで占領されていたので選別して捨て、床に落ちているものは全て捨てると脅し片付けさせました。
朝から晩までかけ、途中諦めそうになりながらも家族総出でなんとかやり遂げゴミ袋10個分のゴミが出ました。こんなに不要なものがあったとはゾッとしましたね。
掃除が終わった後、リビングルームを見渡すと
えっ!?ウチのリビングってこんなに北欧風でオシャレだったの!?
と掃除後の美しさに感動してしまいました。
そして昨日、水曜日に生活の為に無駄な残業して家に帰宅するとまたリビングが"トー横"になっていて愕然としました。
火曜日くらいから兆候はあったのですが。。。。
私は今日の昼に会社の桜を眺めながらふと思いました。あの綺麗なリビングはこの桜と同じで刹那の中に散り行くから美しいんだ。
言い換えるのならばリビングは刹那の中でトー横になってしまうから美しいんだ。
とツボミから少し顔を出した花びらを眺めながら物思いに耽ってしまいました。
その花びらの向こう側には久しぶりに晴れ渡った青空があり、その花びらの美しさを一段と際立たせていました。
Cocco 「強く儚い者たち」