暇だったので『 漁港の肉子ちゃん 』というアニメ作品を観ました。
明石家さんまプロデュースということで普段テレビで見ている彼の軽口で根明なイメージから、そんな大した話じゃないだろうと思っていたのですが良い意味で裏切られました。
この映画は心を打つ素晴らしい人情映画です。未視聴の方はぜひ見てください!
私は住まいが愛知なのですが、母が大阪の吹田市出身で小さい頃は年末年始、お盆などに母の帰省で吹田市に訪れていました。
その時に感じた90年代の大阪の雰囲気、”駅前の商店街”、”銭湯”、”狭い路地”、”町の独特な匂い”なんかが色濃くこの作品から感じられました。
また個人的に肉子の話し方が私の母と叔母が会話しているときの雰囲気に似ていて序盤から引き込まれましたね。
ストーリーも人情的な切ない話で、原作があるにせよ普段テレビで見ている明石家さんまと一致しません。
少し不思議に思い、ネットで彼のことを検索してみると実はかなり苦労人であったことがわかりました。
彼は3歳の時に実の母を病気で亡くしています。
そして彼が小学校高学年の時に父親が再婚し、継母の連れ子の義理の弟が出来ました。
明石家さんまはこの年の離れた弟を”チビ”と呼んで大変可愛がったそうです。
しかし、そんな時、隣の部屋で継母がお酒を飲みながら
『うちの子はこの子(弟)だけや・・・』
と話しているのが聞こえてきてしまい実の兄と二段ベッドで泣いていたそうです。
このことがトラウマでお酒を飲む女性が苦手になってしまったそうです。
普段から継母はさんまのことをずっと無視していて、さんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかけていました。
それでもさんまは継母と仲良くしよう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考えていました。そのうち学校でもその調子で人気者になりお笑いの道へ進んだそうです。
時は立ち、明石家さんまは人気お笑い芸人になりましたが突然悲劇は起こります。
彼の実家が火事になり全焼したそうです。そして、その火事で彼の弟は帰らぬ人となりました。
当時の報道、週刊誌などは弟が自ら命を絶ったと報じます。
さんまは弟に対して
「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて・・・」
と、さんまは語りました。
最愛の弟を失ったショックから、明石家さんまは番組で笑いが取れなくなり芸人を辞めようと思っていたそうです。
しかし、同期のオール巨人がそんな明石家さんまを見かねて、共演した舞台上で「お前んち、兄弟焼いたらしいな」と振ってきました。
普通なら激怒してもおかしくないこのオール巨人の発言を、明石家さんまは励ましているんだと捉えて「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」と返しました。
このやり取りがあったおかげで明石家さんまは弟の死を乗り越えることができ、明石家さんまはオール巨人に対して「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」とお礼を言ったそうです。
オール巨人の発言はブラックジョークがキツ過ぎだろと私の価値観では思ってしまいますが芸人はどんな悲しいことがあっても道化に徹しろということなんですかね。
明石家さんまは今もなお道化に徹し続ける本物の”芸人”ということですね。
悲しい色やね 上田正樹